全国高等学校野球選手権大会

会の出場校は6月中旬から7月下旬にかけて行う地方大会[注 1] で決められる。試合方式は本大会と同じくともにすべてノックアウトトーナメントであり、優勝校が代表校として本大会に出場できる。全地方大会の出場校数は4000校前後である(1990年から2011年まで4000校越えであった)[2]。

地方大会の基本的なルールは選抜高等学校野球大会と同じく開催年度の公認野球規則、アマチュア野球内規、高校野球特別規則に則って行われる。地方大会では得点差によるコールドゲーム制度(5回10点差以上、7回7点差以上)が実施されている。但し、決勝戦に限ってはコールドゲームは適用されず、9回攻撃終了とならない場合はノーゲームとなる。

代表枠
第1回(1915年)では、東北、東海、京津、関西、兵庫、山陽、山陰、四国、九州の9地区の代表校と春の東京大会優勝校の計10校の代表であった[3][4]。その後は参加する府県・地区の増加により毎年のように地区の分割、新設が行われ、第12回(1926年)には北海道、奥羽、東北、北関東、南関東、東京、静岡、東海、甲信越、北陸、京津、大阪、兵庫、紀和、山陰、山陽、四国、北九州、南九州、朝鮮、満州、台湾の22枠となった。以降、1941年まで枠間の移動はありつつも枠数は維持された。南九州は4県ないし5県から1校、四国は4県から1校という厳しさで、逆に兵庫県は地元という名目で第1回大会から単独で代表を送り続けていた[3]。この時期は甲子園に出場しやすい地区とそうでない地区に差があり、『週刊ベースボール』、2012年8月20日号の「あの夏を変えた勢力図闘争!」という特集では[3]、近年のスポーツ新聞などで掲載される出場回数ランキング、優勝回数ランキング、勝利数ランキングは[5]、出場回数が多くなる人口が多い都道府県が有利となるのではないかという指摘がなされている[3]。

戦争に伴う1942年から1945年の中断をはさみ、1946年は朝鮮、満州、台湾の枠を削除した19枠で大会が再開された。以降は地区の分割が進み、地区数は増加を続けた。参加校が特に多い北海道と東京都については、北海道は第41回(1959年)より北北海道・南北海道で各1校、東京都は第56回(1974年)より東東京・西東京で各1校となった。

第40回(1958年)、第45回(1963年)、第50回(1968年)、第55回(1973年)は記念大会として1府県1代表制で行われ、第60回(1978年)以降は全ての年で1府県1校・北海道と東京は2校の49代表制となった(後述の記念大会年を除く)。ただ、参加校が最も少ない地方大会は鳥取県(25校)で5回戦制である一方、参加校が最も多い地方大会は一時期200校を超えた神奈川県で8回戦制であり、都道府県により地方大会の試合数は大きく異なっている。

以降、枠の増減は行われていないが、第80回記念大会(1998年)は記念大会として従来通りの北海道・東京都に加えて、参加校が128校を超える埼玉県・千葉県・神奈川県・愛知県・大阪府兵庫県の6府県が最大8回戦制からそれぞれ2校に拡大され最大7回戦制になった。第90回記念大会(2008年)でも同じく6府県が2校に、第100回記念大会(2018年)では前述の6府県に加えて福岡県も2校に拡大された。

Wikipedia参照